2017年06月02日

シリーズあの人の京都(白洲正子&&東山魁夷&ごぶごぶ亀屋則克・浜土産)



NHK・BSプレミアムカフェ「シリーズあの人の京都」は、

3日間にわたって京都が描かれ、見応えがありました。

希林の宴は、ここで以前にも取り上げ、谷崎潤一郎さんは

TV特集でも、よく題材となっていますが、白洲正子さんと

東山魁夷さんは、珍しく、又、京都(生活・文化)に対する

共通する奥深い審美眼が見受けられます



第1日目
「京都、希林の宴(うたげ)〜とっておきの仕出し巡り〜」
(初回放送:2015年)
「仕出し」は京都人にとって最高の贅沢(ぜいたく)。品書きから器まで、
その舞台裏を、古都を愛する樹木希林さんが徹底探訪!

第2日目
「ハイビジョン特集 白洲正子が愛した京都」(初回放送:2008年)
京都を“生まれ故郷のようだ”と語っていた随筆家・白洲正子ゆかりの
場所をくまなく紹介、ホンモノに溢れた街の魅力を描く。



第3日目
(1)「とびっきり京都 谷崎潤一郎の愛した都 」(初回放送:2000年)
西洋趣味のハイカラで鳴らした谷崎はなぜ京都に惹(ひ)かれたのか?
谷崎を愛する佐野史郎さんが縁(ゆかり)の地を訪ねる。
(2)極上美の饗宴(きょうえん) シリーズ
  「東山魁夷の旅 挑戦の京都」(初回放送:2011年)
年の瀬の京の街並みを描いた「年暮る」(1963)は、東山の代表作の一つ。
美を求めて古都に対峙した巨匠の挑戦をたどる。



「60にならな、分からん味」
「白洲正子が愛した京都」の前にMBS「ごぶごぶ」を見て
ダウンタウン浜田雅功さんと西川貴教さんが「京都の街の
京都の人気和菓子店を巡る」テーマで、都市中京区中京区の
「御菓子司 亀屋則克」で、「浜土産(はまづと)」を食した時
浜ちゃんが「60にならな、分からん味」とコメント。
表現し易い濃厚な味と違い、微妙な淡い味で、二人にはレポが
難しいお味から出たコメントでしたが、白洲正子さんの
幼少期と晩年期の京都、東山魁夷さんの「年暮る」の
誕生経緯に似て、ある境地に達して「初めて解る(出来る)」を
現した浜ちゃんの名表現でした。



浜土産(はまづと)
ハマグリの貝殻に寒天と砂糖などを一緒に煮詰めたものを流し、
浜納豆を入れ固めたもので、琥珀糖の甘さと納豆の味噌風味が
調和した独特の味が広がる美しく涼しげな一品。
海岸から遠く離れた京の町において、見るからに海辺のお土産の如く
真夏でも日持ちするお菓子をと、此処の初代が考案し、
いまに受け継がれている夏の涼菓で、「鯖街道」を感じさせます。
貝殻のなめらかな方へ爪を入れて開き、空いた殻ですくって
食べる事もできて、平安時代の貴族の遊びのひとつで、90個以上の
貝殻を並べてひとつの貝殻に合う貝を見つけるという現代の
神経衰弱に似た平安時代の雅な遊び「貝合わせ」を
この和菓子も京の雅と地域性を語っています。

白洲正子


清凉寺

嫌だった京都が美の原点
この親にして、この娘ありと思わせる美人だった
白洲正子さんの母・樺山常子さんは、京都、特に嵯峨野が好きで
遺言に、分骨して嵯峨野・清凉寺にお墓がある程の京都好きで
白洲正子さんも幼い頃、母に連れられ、京都によく連れて
行かれましたが、著書にもある様に、子供としては退屈だったようです。



又、4才から能を習い始め、女性として初めて能楽堂の舞台へ
あがった経験があり、子供の習い事、まして、男中心の伝統芸と
言える能を、本人が積極的に習い出したとは、思えません。
しかし、この退屈だった京都と能が、白洲正子さんの美の原点となっています。
又、当時として珍しい麹町の洋館育ちで、14歳から4年間、アメリカ文化に
浸った帰国子女と言う超現代・先進的側面も持っている対比、表裏一体の関係も
審美眼に大きく影響しています。



京都人とは「千年のすれっからし」
白洲正子による京都人とは「千年のすれっからし(擦れっ枯らし)」と
言い放っていて、様々な経験をして、悪賢くなったり、人柄が悪く
なったりしている意味がある「すれっからし」で決して良い表現では
ありませんが、京都市出身で、現在は隣接する宇治市に住む
「生粋の京都人」井上章一さんの京都本「京都ぎらい」のような
客観性を持ち、酸いも甘いも含めて京都を愛する白洲正子さんらしい
逆説的表現と言え、世界に類を見ない千年の間、都を維持しつづけた
伝統文化を守った賛辞の言葉と言えます。



かくれ里
白洲正子さんの自著「かくれ里」がありますが、人里離れた山奥という
意味の他に、定番スポットの路地裏、見過ごされがちスポットに
大きく魅かれていくようです。


福井・小浜市の松上げ

花背の「松上げ」
京都の火祭りと言えば、五山送り火、清涼寺のお松明式とともに
京都三大火祭りに数えられる 「鞍馬の火祭」が有名ですが
その鞍馬寺から山道をずっと北に進んだ洛北の山村
花背に伝わる8月15日「花背の松上げ」に魅かれています。
河原一帯の約千本の松明に徐々に点火して高さ20mの大傘に向かって
その松明を投げ上げ入れ、大傘に火をつけます。



又、祭りのクライマックスは、勇壮ですが、祭りの前に松上げ場所を
散策すると、準備されている1000本の松明と聳え立つ大傘が
静けさと神秘性があり、白洲正子さんは、もしかしたら、
これに一番魅かれたかも知れません。



大覚寺・石仏
大覚寺と言えば観月で有名な大沢池や伽藍、国宝・重要文化財
などが知られていますが、白洲正子さんは、大沢池の傍らにある
石仏群で、それも雨の日が大好きです。
「いつ・誰のために作られたのか?何も分かっていない。 鎌倉といわれている。
雨に濡れた石の肌がほのぼのと香るがごとく煙っている。
石仏を見るのは雨の日に限ると思った。」


愛宕神社

火の神秘性
白洲正子さんは、又、愛宕神社にも良く行っていますが
全国に約900社を数える愛宕神社の総本宮として京都の愛宕山上に
鎮座し、 古くより火伏・防火に霊験のある神社として知られ
転じて、京都の台所(おくどさん)の神様であり、火に魅かれる
白洲正子さんは、脳の「薪能」の神秘性の記憶があるのかも知れません。


美山荘

健啖家・白洲正子
白洲正子さんは、健啖家としても知られ、京都に行くと、
愛宕山麓の「平野屋」を訪れ、「焼き鮎」を食し、
おかわりをする程に白洲正子さんが愛しました。


平野屋

又、「松上げ」の花背の地にある、摘み草料理で有名な
料理旅館「美山荘」は、白洲正子さんだけでなく、
多くの文化人が愛した宿として知られています


レストラン&カフェ 武相荘

武相荘(東京 町田市)
白洲次郎・白洲正子に2人が移り住み、形作り、
生涯を通して愛した家で、白洲正子さんの美意識が
反映され、武相荘に使われたモノの一つが11代目 
千田堅さんが作る「唐紙(からかみ)」で、
京都の文化を暮らしに取り入れています。
唐紙については、NHKドキュメンタリー 「唐紙〜千年の文様の美〜」
で見ましたが、大変奥深さを感じるものです。

東山魁夷



挑戦の旅
各地を旅しながら、山や森をやわらかな色合いで表現した
東山魁夷さんは、55歳にして全く新しいテーマに挑みました。
それは、「人の営みを描く」ということでした
東山魁夷さんが55歳にして人生最大の挑戦に挑んだ
京都の旅であり、5年に渡って百か所以上を巡る京都への旅を繰り返し、
人の手が造り上げた伝統の美を表現しようと苦闘し、そして生まれたのが、
あの「京洛四季」の連作で、その代表作が、年の瀬の京の街並みを
描いた「年暮る」でした。



写真家目線
番組では、東山魁夷さんの京都旅を「年暮る」を中心にして
以前から観る者を惹きつけてやまない東山魁夷さんの切り取り方、
色の使い方に関心を抱いてきたという写真家の三好和義さんが
辿ると言う形で、写真家の洞察力や科学で色合いの解明、
構図の必然性など面白いアプローチとなっています。



京都の憧れと文豪・川端康成
東山魁夷さんは、題材として京都の美に興味を持ちながら
描く事はありませんでしたが、50代半ばと言う円熟期と言う
テクニカルな面と、文豪・川端康成が、「京都は今、描いといて
いただかないとなくなります。京都のあるうちに描いておいて下さい」と
東山魁夷さんにしきりに懇願した精神的な経緯があります。



断片をクローズアップして全体を描く
東福寺 方丈、「八相の庭」は、作庭家・重森三玲(しげもりみれい)に
より昭和14年に完成し、方丈の四周に庭園を巡らせた形式は
東福寺のみで、その中でも、最も人工感、現代感がある一方
ウマスギゴケと敷石による市松模様の北庭の一部をクローズアップ
したのが、東山魁夷さんの「東福寺庭」です。



しかし、現代的であると同時に、市松模様は、日本の伝統柄であり
重森三玲さんの作意を東山魁夷さんが受け止めた感じでもあります。
このように「京洛四季」の連作54点のうち、ごく狭い部分を切り取った
作品は、半分近い20点ちかくにも及んでいるそうです。



東福寺の庭
三好さんが、庭のあらゆる場所を狭いフレームで撮影を行った結果、
東山魁夷さんの描いた「東福寺の庭」は、規則正しい部分と、
そうでない部分の両方を描こうとした、「広がりのある構図」
であることがわかりました。



二条城の石垣
二条城では、門を入ってすぐの場所にある石垣だけを
リアルに丁寧に描き、外堀の石垣より、丁寧に表面が磨かれ、
隙間が全くないように築かれた石垣は、職人の丁寧な仕事まで
作品の中に描こうとしていたようです。



 「青い峡」
北山杉の見事な姿を描いた「青い峡」は、数寄屋造りなど
建築用材としても珍重される北山杉の杉木立は、全て人の手に
よって植えられ、40年もの歳月をかけて手入れされ育てられているそうです。
自然美と言うより、自然と融合、共生しながら、人が関わる事により、
伝統が維持される美を描こうとした作品だという感じです。



光悦寺「秋寂び」
光悦寺にあるこの竹垣は、光悦が晩年を過ごしたと
いわれる大虚庵の路地と光悦寺の境内を仕切っています。
矢来風に菱に組んだ組子の天端を割竹で巻いて玉縁とした
光悦寺独特の垣で、「光悦垣」と呼ばれています。
東山魁夷さんは、光悦寺の茶室・太虚庵の「光悦垣」を描き、
光悦垣の前には萩、後ろに紅葉でまさに「秋寂び」の情景です。



一力茶屋「一力」
NHK「ブラタモリ・京都・祇園」では、赤穂浪士を題材にした
「仮名手本忠臣蔵」にも登場する「祇園一力茶屋」は、
一力の門はもともと四条通に 面していたのが、花街が
移った事により、花見小路通りに変わったと説明されていました。
東山魁夷さんは、その赤と黒茶の塀だけをを描いています。



円山公園「花明り」
観光客の定番スポットであり、京都市民の憩いの場でもある
京都「円山公園」の「枝垂桜」を描いています。
濃紺に暮れゆく東山を背景に、咲き乱れる紅しだれ桜を
描いた作品で、桜(樹木)や満月は、東山魁夷さんの
得意とするテーマです。


知恩院

知恩院
大晦日、大勢の僧侶が大鐘をつくのが有名な知恩院で
人がいない処で、この鐘を実際に聞き、大晦日の
絵を考え、生まれたのが「年暮る」で、
この放送の中では、「年暮る」は与謝蕪村の「夜色楼台図」を


京都ホテルオークラ

下敷きに描かれているのではと推測していました。
「年暮る」は、今は高層ビルですが、建替えられる前の
京都ホテルオークラの屋上から、京都鴨川沿い、東山三条あたりの
風景が描かれた作品なのだそうです。



年暮る
連作の締めくくりに描かれた作品「年暮る」は、
大晦日の夜の雪景色で、民家の屋根に雪が積もり、画面を彩る青が
印象的な、除夜の鐘の音が聞こえてくるような作品です。
「人の営みを描く」テーマながら、辿り着いたのが、人の無い
風景と言うところに、奥深さがあります。



東山ブルー
北野武監督の好む色「キタノブルー」が有名ですが、
東山魁夷さんも「東山ブルー」が有名であり、
青使いには定評がありますが、「年暮る」では
雪のシーンで白が多く、夜なので黒が多いと感じるのですが
実は、屋根の軒下、闇などで青緑が多用され、効果的に
使われています。



東山魁夷さんの青は当初、自然を生き生きと描くためでしたが
北欧を描いた「二つの月」で、青使いが変わり、
東山魁夷さんは青を前面に押し出す作品が多い中
ある意味、青使いの完成した極地の作品と言えるかも知れません
色彩心理学的にもこの色は夜の風景に最も馴染みのある色なんだそうです。



又、青は郷愁を呼び起こす色だそうで、京都を描きながら
日本人に共通するどこか昔経験した、或いは憧れた風景であり
又、人の気配のしない深々とした夜ながら、絵の正面下に
灯りが微かに見え、家の前には駐車されている車が、そこはかとない
人の温もりが感じられ大きな効果を生んでいるようです。





posted by 橙花 薫 at 00:00| TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする