2017年01月21日

高島礼子・日本の古都京都・1200年歴史ミステリー・比叡山の謎(遣唐使での学びの相違・空海と最澄)



1月13日放送「高島礼子・日本の古都 〜その絶景に歴史あり」の

「京都1200年歴史ミステリー・比叡山の謎」は、空海と最澄と言う

対比が非常に面白かったです。



同じ志
767年に近江の国で生まれた最澄、774年に讃岐の国生まれた
空海は、ほぼ同年代で、当時の奈良仏教に飽きたらず、或いは
腐敗した仏教に不満を覚え、山にこもり修業し、新しい仏教と言う
同じ志で、同じ遣唐使の船団で、当時は命がけで、4漕の船団で
2漕は難破し、二人は生き残りましたが、着いたのは、最澄は



甲州で、地理的にも近く、何より唐の主流だった天台宗を学ぶ
目的だったので天台山へ、空海は、福州に着き、
遥か遠く、長安の都で、当時最先端の密教を学びました。
二人の大きな違いは、当時の国費留学生は20年の長期滞在が
義務づけがありましたが、桓武天皇に重用されエリートだった最澄は、
国費留学生でも、早く帰国し、新しい仏教を流布して欲しい
桓武天皇の想いから、留学期限を1年とされ、無名の空海は、
私費留学生扱いでした。



留学と言う大きな分かれ目
最澄は、天台宗の奥義をマスターし、当時最先端の密教にも
出会いましたが、学びたかったのですが、短期間であったため、
密教のマスターには至りませんでしたが、
空海は、僅か2年余りの期間で、難解な古代インド語である
サンスクリット語をマスター、さらに、わずか2ヶ月で、
最高権威の僧侶から、密教のすべてを受け継いだ上
密教の教典や曼荼羅なども日本に持ち帰りました。



桓武天皇と嵯峨天皇
二人は、その才能や努力で認め合う関係で、ベクトルが同じでしたが、
桓武天皇に重用され、結果を急がれ京都の鬼門を守る位置にある延暦寺と
言う拠点も既にあり、密教に惹かれながらも、天台宗を流布せざるを



得なかった最澄、桓武天皇が亡くなり、嵯峨天皇が即位し、無名だった
ものの、密教をマスターした空海が重用され、天台宗と密教と言う
構図が出来上がってしまいました。



カリスマと教育指導者
難解で複雑な密教をマスターした空海は、天才肌で、
カリスマ的な存在に、一方、奥義をマスターした天台宗と
不完全なままとなった密教を両方学び、天才肌の空海が知る由もない
両方の難しさ、違い、悔しさなどが、逆に大きな礎となり
最澄が開いた比叡山延暦寺は、仏教の総合大学と言われ、その後も
浄土宗(法然)、浄土真宗(親鸞)、臨済宗(栄西)、曹洞宗(道元)、
日蓮宗(日蓮)、時宗(一遍)などは、もともと天台宗から



派生したスーパースターを数多く排出しました。
最澄は、延暦寺と言う拠点で、活躍したのに対して、空海は
各地を行脚した事が、各地に伝説事につながり、カリスマ性を
高めたと言え、天才肌VS超秀才、インドアVSアウトドアなど
究極のベクトルは同じでも、性格の違い、そして、運命で
出来上がったモノが異なったというのは面白いですね。



政教分離し、庶民の仏教
奈良時代の仏教は、位とかお寺を建てることが目的で、
次第に政治と大きく結びつき、腐敗し、最澄が、19歳の若さで、
年間10人しか認められない朝廷の正式な僧侶になったように、
一部の限られたエリートのための政治的な仏教、中国の科挙制度のように、
なってしまった仏教を、空海と最澄は、ある種、政教分離し
純粋な仏教を求め、それにより、庶民、万人
に通じるスケール感のある仏教流布の基礎を形成した点が、
二人の大きな功績と言えます。



比叡山と平安京の鬼門
京都は、794年、桓武天皇の時代に「平安京」として造営されましたが、
奈良時代末期、政争が続き、祟りでもあるかのように 、天災が相次ぎ
桓武天皇は、すべてを一新してやり直すために、造営にあたって、
風水に則って方位学によって選ばれた吉相の場所であったといわれ
又、都を守る為に多様な結界を張り巡らしました。
最澄が山籠もりし、修行した比叡山が、平安京の北東にあり
比叡山延暦寺が鬼門封じの役割を果たしました。




最澄が修行地として比叡山を選んだ理由のひとつに、中国の天台大師の修行の
指南書・摩訶止観(まかしかん)」の中に人里離れた静かなところで、
社会的つながりを一時的に断って、集中的に修行することの大切さを
説かれ、比叡山について最澄は「おのずから住めば持戒のこの山は、
まことなるかな依身より依所」と詠み、修行に相応しい場所を
選んだ事が、鬼門封じの場所でもあった事が興味深く、
遣唐使で難破せず、無事についた二人、比叡山を選んだ最澄
「何か持っている男」に運強さを感じてしまいます。



法灯
延暦寺の中核をなす根本中堂に1200年もの間、一度も消えたことがない
「 不滅の法灯」と言うお灯明があり、毎朝夕に燃料の菜種油を絶やさ
ないように僧侶が 注ぎ足し続けているそうだが、
気を抜くと燃料が断たれて火が消えてしまう事から
「油断大敵」と言う言葉が生まれたとか。
又、高野山の奥の院にある燈籠堂の、幾千という数
の吊燈籠が荘厳ですが、832年に弘法大師が行った「万燈万華会」
を発端とする燈明。もう一つは、1118年に弘法大師に講じられた
祈親(きしん)・白河の燈明は消えずの火となっています。



両燈は永遠の生命のシンボルで、鎌倉時代に入り、信仰の意義が
薄らいだ時に新たな理由づけとして「貧女の一燈、長者の万燈」が
考えら、そのように呼ばれるようになりました。
今では、1950年弘法大師奉賛会の発会を祈念し高松宮が点したもの、
1984年弘法大師千百五十年後遠忌に日中友好を念じ、
中曽根総理大臣(当時)によって点じられた燈明の計4つの消えずの火が
拝殿正面に灯っています。



高野山と言う山。延暦寺と言うお寺
地名としての「高野山」と言う山は無く、八葉の峰(今来峰・宝珠峰・
鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山)と呼ばれる
峰々に囲まれた盆地状の平地の地域を指しています。
総本山金剛峯寺という場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を
指し、高野山は「一山境内地」と称し、高野山の至る所がお寺の



境内地であり、高野山全体がお寺なのです云わば、高野山は
金剛峯寺の境内とも言え、高野山の本堂は、大伽藍にそびえる
「金堂」が一山の総本堂になります。
延暦寺も、一つのお寺で無く比叡山の山上から東麓にかけて位置する
東塔、西塔、横川(よかわ)などの区域に所在する堂塔の総称です。
延暦寺は、比叡山全域を境内とする寺院と言う事になります。

延暦寺周辺の宿



延暦寺会館


星野リゾート ロテルド比叡

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KKRホテルびわこ(国家公務員共済組合連合会びわこ保養所)

KKRホテルびわこ(国家公務員共済組合
    連合会びわこ保養所)



びわ湖大津プリンスホテル (旧 大津プリンスホテル)

びわ湖大津プリンスホテル 
    (旧 大津プリンスホテル)




posted by 橙花 薫 at 00:37| TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする